ツイッターで
- 配列の合理性を議論するならまず速度が最重要項目でしょ、速度を脇において合理性もクソもないよ
- あらゆる合理化は速度に還元されるはずなので、合理性はまず速度で量られるべきだよ
- 実在する人間の入力を介して速度を測ってる時点で速度を議論できるだけの文化的下地がないよな……という感じ
という発言があった。
合理性は速度で測られるべきというのは、概ね同意見。配列の性能はすべて速度に還元されるし、そうあるべきだと思う。
ただじゃあ今出てる配列の入力速度というのが客観的かと言われるとそうではなくて、「配列の性能による速度」と「本人の性能による速度」がまとめて出力されてしまっている。この2つはは切り分けて考えたいけど、それをする方法が今のところないから建設的な議論がしづらい。結局最後には主観の色が強い「でも私はこの配列でこれだけ打てるよ」に落ち着いてしまう。
結論:現状、配列を客観的に評価することは不可能である。
とはいえこれだけで終わるのはあまりに乱暴なので、私の考える「速度」の概念の整理だけしておきたい。
速度の構造
ただ一概に速度と言っても、いろいろあるというのが私の考え。入力にまつわる速度というのは、以下の3つに大別できる。
- 思考の速度
- 思考を文字化する速度
- 入力速度
一つ一つ見ていく。
思考の速度
言わずもがな、内容を考えている際の速度。
これをしている間、基本的に入力の手は止まっている。これは完全に個人が考えをまとめるのに必要な時間で、この速度と配列の性能はほとんど関係がない。
思考を文字化する速度
考えた内容を、具体的にどのように入力するのか。頭の中の情報を、具体的な身体動作の指令として変換する速度。ここから論理配列が影響し始める。
例えば思考の結果、「論理配列は最高です」という文章を入力しよう、と考えがまとまったとする。その際にqwertyローマ字を使用するとする。この時、入力を開始するまでに以下のような変換プロセスが発生しているはずである。
「論理配列最高はです」
↓
「ろんりはいれつはさいこうです」
↓
「ronrihairetuhasaikoudesu」
↓
「{左人差し指上段}→{右薬指上段}→{右人差し指下段}→……」
この変換速度が、思考を文字化する速度である。これは習熟すれば習熟するほど無意識で行われ、かつほぼノータイムで行われる。
では無視できるかと言うとそうではなくて、よく見かける「手書きや漢直は考えをそのまま出力できる」「ローマ字入力は変換に頭の容量を使う」「かな入力は日本語の入力を自然に行える」あたりの言説は、この速度に関わってくる。
この速度は速ければ速いほど良い。ここまでは身体ではなく脳で行っているプロセスでもある。なのでこの速度が高速化されるということは、それだけ思考のリソースを空けることができ、入力内容の吟味の方に思考のリソースを割くことができるということでもある。
いろいろな人の言説を読む限り、この速度は具体的なキー配列というより、入力方式の種別(手書きなのか、漢直なのか、ローマ字なのか、カナなのか、etc……)に依存しているようだ。脳内発声の有無などが絡むのも、この部分。
またこの速度は論理配列に関係しているが、配列の性能というよりは本人と配列との相性で決定される。そのため本人の性能と不可分の速度でもある。
入力速度
入力速度とは、思考から出力された身体指示を実際に実行している際の速度になる。よく論理配列の速度と言われるのは、この部分。論理配列の性能がその決定の大部分を占める速度。
さらにこの入力速度は「想定距離」×「想定パフォーマンス」で6つに分けられる。
想定距離の長さというのは、以下の2つ
- 短距離
- 長距離
想定パフォーマンスというのは、以下の3つ
- 下限パフォーマンス
- 雑パフォーマンス
- 上限パフォーマンス
それぞれどういったカテゴリをさしているのか説明する。
想定距離
速度の議論において、どの程度の文の長さを想定しているのか。あるいはどの程度の時間スケールでの速度を想定しているのか。
短距離の想定は大体30秒~1分程度の時間スケール。厳密にはここも文字が入力できればよい競技シーンと、変換や修正も加味した短文とで分けたかったが、一旦ひとまとめにしている。指の疲労は考えない。とにかく短文を走り切れればいい。そういうカテゴリ。
一方で長距離の想定は1時間~ の時間スケール。1時間~ といっても本当は1時間の入力と、1日の入力と、1ヶ月の入力とではわけて考えたほうがいい。けど一旦ひとまとめにしている。こちらは指の疲労も考慮して考える。長く文章を打ち続けていく中で、維持可能な速度。そういうカテゴリ。
想定パフォーマンス
今回の記事で一番書きたかった部分。やや分かりづらいが、一言で言うなら「どの程度その配列に習熟した人が使った場合を想定するか」ということになる。
下限パフォーマンスとは、その配列を初めて使う人を想定したカテゴリ。論理配列の優劣を比較するうえでこのカテゴリの速度を持ち出す意味はほぼない。
雑パフォーマンスとは、その配列を特別な工夫なく使用している人を想定したカテゴリ。あるいは、半年~1年程度の習得から間もない人を想定したカテゴリ。簡単な練習によって誰でも到達できる領域を想定したカテゴリ。
上限パフォーマンスとは、その配列に限界まで習熟した人を想定したカテゴリ。あるいは、何年もの修練の果てにたどり着くことができる達人の領域を想定したカテゴリ。
具体例
言うても分かりづらいと思うので、6つそれぞれについて説明もしておく。
短距離×下限パフォーマンスの速度
図書館の検索端末など、あらゆる人が使用する配列で重視される速度。五十音順一強で異論はないと思う。
一応論理配列の評価基準の1つではあるので、分類上載せておく。
長距離×下限パフォーマンスの速度
パソコンに初めて触る人が、いきなり長編小説を書き始めようとしたときに重視される……? 速度……? なんだそれ。
分類上発生してしまっただけで、これを評価基準に加える意味は全くない。
短距離×雑パフォーマンスの速度
新しく配列に触れて半年~1年くらい経った人が、短文を打つ際の速度。あるいは、配列に触れているうちに自然と到達できる短距離の速度。
とりあえず誰でもやってればこのくらいの速度は出るよね、という部分。私が重視する速度。
長距離×雑パフォーマンスの速度
新しく配列に触れて半年~1年くらい経った人が、長文を打つ際の速度。あるいは、配列に触れているうちに自然と到達できる長距離の速度。
qwertyローマ字だと腱鞘炎になった、という人が重視する速度。
短距離×上限パフォーマンスの速度
配列に限界まで習熟した人が出す、瞬間速度。タイパーの人がコピー打鍵のときに発揮する速度とかは、ここ。
長距離×上限パフォーマンスの速度
配列の作者など、配列に限界まで習熟した人が出す、長文の速度。
まとめ
私の主張する「配列の性能はすべて速度に還元され、速度によって評価される」という言説における「速度」というのは、複数の速度を指している。具体的には、
- 思考の速度
- 思考を文字化する速度
- 入力速度
- 短距離×下限
- 長距離×下限
- 短距離×雑
- 長距離×雑
- 短距離×上限
- 長距離×上限
である。このうち「思考の速度」は配列の性能とは関係がない。「下限パフォーマンス」の速度は一旦評価基準から除外しよう。
よってこのうち配列の評価基準として適しているのは、
- 思考を文字化する速度
- 短距離×雑
- 長距離×雑
- 短距離×上限
- 長距離×上限
の5つだ。「思考を文字化する速度」については配列と本人との相性による部分が大きいのでそれを除外した4つでもいい。
この5つ(4つ)の速度によって、配列の性能は評価される。
補足
補足1
配列の評価として話題に上がるのが、もっぱら「短距離×上限」の速度である。競技タイパーが重視する速度もここなので、人口の多さから話題に上がりやすい部分でもあるのかもしれない。
薙刀式の作者の方がよく発信してくださっているのが、「長距離×上限」の速度(上述の通り、配列作者が叩きだす速度は上限パフォーマンスのカテゴリとして分類している)。
「短距離×雑」と「長距離×雑」に関するデータというのはほとんど存在しない。これは当たり前で、このデータを持ってるのは配列をさわりはじめて間もない人だけだからだ。それをわざわざ発信してる人は少ない。
一方で私が一番知りたいのは「短距離×雑」の速度だったりする。私がわざわざ2週間や1ヶ月の時点での状況を書き残したのも、ここの部分のデータを残しておきたかったからでもある。
補足2
創作文の速度には「思考の速度」「思考を文字化する速度」「入力速度」のすべてが関わる。一方で、コピー打鍵においては「思考の速度」は0になる。
補足3
まあこうやって分類してみたところで、それぞれを測定する方法なんてないんだけど。
誰か、学習開始から完全に習熟するまでの過程を記録として残し、そのあと状態をリセットして新しい配列を学習開始するという繰り返しの試行をすべての配列について行ってくれんか? そしたら多少はマシな議論ができるようになるかもしれん。
補足4
私が過去の記事で使った「覚えやすさ」や「学習コストが低い」といった言葉は、この記事内の項目で言った場合、「短距離×雑」と「長距離×雑」の速度が大きいことに相当する。
さらなる補足